世界に響かせる日本のKodo(鼓動)

不朽の価値第8回 まつあみ靖

January 23, 2023 Text まつあみ靖
January 13, 2023 Last modified

ジュネーブ・ウォッチ・グランプリ2022において「クロノメトリー部門」のグランプリに輝いた「グランドセイコー Kodo コンスタントフォース・トゥールビヨン」。その意義を、製作を主導した技術者の言葉とともにお届けする。

「グランドセイコー Kodo コンスタントフォース・トゥールビヨン SLGT003」
2022年春、ジュネーブで開催されたウォッチズ&ワンダーズに初参加したグランドセイコーの目玉的存在として発表された初となる機械式コンプリケーションモデル。ゼンマイからの動力を、いったん別のバネ機構に蓄えては放出することを繰り返し、調速脱進機構に常に一定のトルクを供給して精度を向上させるコンスタントフォース機構と、調速脱進機構をキャリッジに収めて1分間で1回転させ、姿勢差による誤差を平均化し精度を高めるトゥールビヨンという二つを組み合わせて搭載し、新次元の安定した精度を追求。「グランドセイコー Kodo コンスタントフォース・トゥールビヨン SLGT003」手巻き、ケース径43.8㎜、プラチナ+ブリリアントハードチタンケース×姫路黒桟革ストラップ(クロコダイルストラップ付属)、10気圧防水、世界限定20本、44,000,000円。

去る11月10日、世界の時計関係者が熱い視線を注ぐジュネーブ・ウォッチ・グランプリ(以下GPHG)2022の発表が行われた。その中で大賞の「エギーユ・ドール(金の針賞)」に輝いたMB&Fの「レガシー・マシン シーケンシャル エヴォ」以上に注目を集めたのが、「グランドセイコー Kodo コンスタントフォース・トゥールビヨン」だったかもしれない。トゥールビヨン部門の最終ノミネートに残りながら、このカテゴリーはH.モーザー&Cieが制し、関係者から落胆のため息が漏れたが、W杯で日本がドイツやスペインを撃破したようなサプライズが待っていた。
 
クロノメトリー部門の大賞に「Kodo」の名が呼ばれたのである。この部門賞は、卓越した精度を備えた時計に与えられるもので、これまでにも特別な脱進機構を備えたハイエンドモデルが受賞している。この時計の製作に携わったセイコーウオッチの技術者、川内谷卓磨氏は、受賞の喜びを栄誉の壇上でこう語った。「GPHGは、時計学校に入学した当初から毎年チェックしていた夢の舞台。いつか自分が携わった腕時計で、この舞台に立ちたいと思い続けていました。本当に感慨無量です」
 
筆者はGPHGに先だち川内谷氏に取材していた。受賞の予感のみならず、彼のユニークなキャリアにも関心を寄せていたからだ。

「大学在学中は右手にギター、左手にスケボーみたいな生活でした」と笑う川内谷氏は、現在44歳。大学時代からバンドに打ち込み、卒業後も就職せず、キーボード奏者の深町純氏のバンドや、ジャズイントゥルメンタルバンドなどに所属し、音楽活動に専念。

しかし30歳の頃、さる著名アーティストのオーディションに参加した際、限界を悟り、別の道を模索し始める。あるとき、母からの「手先が器用なんだから時計職人になったら」という何気ない一言がきっかけで時計の世界を調べ始めると、フィリップ・デュフォー氏の動画に魅せられ、腕時計に開眼。時計専門学校を経て、2010年入社、研究開発センターに配属される。

「入社当初、セイコーはいい時計、まじめな時計をつくっているけれど、色気や遊び心がもっとあってもいいなと思っていて、ブランドの価値をもっと上げたいというのが大きなモチベーションでした。複雑機構をやりたいと言っていたら12年に今までにない時計をつくるプロジェクトが立ち上がり、有志のメンバーがアイデアを出し合う中で、僕が提出した一つが、同軸のコンスタントフォース・トゥールビヨンだったんです」

川内谷卓磨
川内谷卓磨 かわうちや・たくま 
1978年、静岡県生まれ。東京工業大学卒業後、音楽活動に専念するも、2008年重鎮独立時計師フィリップ・デュフォー氏の「シンプリシティ」製作動画に魅せられ腕時計に開眼。同年、時計専門学校で本格的に時計について学び始める。10年セイコーインスツル(現セイコーウオッチ)入社、研究開発センターに配属され、12年にコンスタントフォース・トゥールビヨンのアイデアを提示し、そのプロジェクトを推進。20年、プロトタイプとなるキャリバーT0を完成させる。これをブラッシュアップし、小型化も実現したキャリバー9ST1を搭載した「グランドセイコー Kodo コンスタントフォース・トゥールビヨン SLGT003」を22年に発表。

原型的アイデアはひらめいてから30分ほどでスケッチし、それがほぼそのまま形になったというから驚きだ。しかし、なぜコンスタントフォース・トゥールビヨンだったのか?

「精度誤差の諸悪の根源は、ゼンマイのトルクが減少し、テンプの振り角が下がること。トルクを一定に保つコンスタントフォース機構は、それを同時に解決できる。トゥールビヨンは縦方向の姿勢差をキャンセルできますから、2大誤差要因を潰せば、相当精度がよくなる。12年当時、トゥールビヨンはすでに著名なブランドから販売されていましたから、その両方を搭載した機構を考えようと思ったんです」
 
当時、セイコーでは電波時計を主力としながら、高付加価値化、グローバル化の模索が始まった頃だった。GPSソーラーウォッチ、アストロンの発表が12年、初のトゥールビヨンモデル「クレドール FUGAKU」が16年、17年にはグランドセイコーの独立ブランド化を発表。

「高付加価値の時計を世に送り出したいと思っている人間が社内のあちこちにいて、そういう流れが実を結んでくるところに、たまたま10年かかった『Kodo』の開発が、ちょうど出せる状態になった。不思議なほどタイミングが一致したという感じがします」

同軸上にトゥールビヨンとコンスタントフォースの二つの複雑機構を統合
同軸上にトゥールビヨンとコンスタントフォースの二つの複雑機構を統合したのは世界初の快挙。先行するコンスタントフォース機構のモデルを研究し、板バネよりも動力ロスの少ない渦巻き状のバネの採用や、トゥールビヨンと同軸上に一体化し、これを設置することなどを決めていった。正確な16ビートを刻む美しい音色にもこだわり、パーツの精度を究極まで追い込んだという。筆者が「この16ビート、ジェフ・ポーカロを思い出しました」と言うと、川内谷氏はニヤリとして「スティーヴ・ガッドと言ってくれる人もいました」

セイコーウオッチ内藤昭男社長は、受賞コメントの中で「今回の受賞はグランドセイコーの時計づくりの新たな出発点であり、この先もグランドセイコーにしか描けない未来を築いてまいります」と、受賞の意義を強調した。川内谷氏もこう同意する。

「グランドセイコーがいままでやってこなかった領域のことをやっているので、当然新しいノウハウが必要でした。『Kodo』の製造・組み立ての中で、今後に生かせるような大きな収穫があったと思います。これみよがしな複雑機構には興味はなくて、時計の王道を攻めているところ、でもなにかオリジナルのひとひねりがしてあるようなものがつくれたらなとは思っていますね」「Kodo」に続く未来に期待を抱かないではいられない。

まつあみ靖 まつあみ・やすし
1963年、島根県生まれ。87年、集英社入社。週刊プレイボーイ、PLAYBOY日本版編集部を経て、92年よりフリーに。時計、ファッション、音楽、インタビューなどの記事に携わる一方、音楽活動も展開中。著者に『ウォッチコンシェルジュ・メゾンガイド』(小学館)、『スーツが100ドルで売れる理由』(中経出版)ほか。

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