
11月の第3木曜日を約1カ月後に控えた10月19日、2022年のボジョレー・ヌーボー第1便が羽田空港に到着したとのニュースが流れた。ボジョレー・ヌーボーの解禁を心待ちにしている人は、一時に比べたら減ったのかもしれない。しかし、今年収穫されたばかりの新酒で乾杯する楽しさは、やはり格別だ。
ボジョレー・ヌーボーの解禁日が11月の第3木曜日に設定されたのは1985年と聞くと、意外と最近のことと驚く人もいるかもしれない。そもそもボジョレー地区の生産者の間や、ボジョレーにほど近いリヨン周辺でささやかに楽しまれていたであろうヌーボーの解禁日を、フランスの法律で正式に定めたのは51 年のこと。
それまでは、軍隊用のワイン供給を計画的に行うため、ワインの販売スケジュールは厳格に管理されていたが、同年春にこれが廃止となり、全てのワインの販売日は12月15日と決定された。しかし、ボジョレーの生産者から新酒を早く売りたいという声が上がり、67年に11月15日に変更される。
これ以降、若いジャーナリストたちの尽力によって、ボジョレーはパリのビストロでも愛飲され始め、やがてヨーロッパ各地、さらに世界各地へと人気を広げていく。85年に解禁日が現在の11月第3木曜日に改められるが、これは11月15 日を解禁日とすると、当日が日曜に当たった場合、運送その他の不都合が生じるケースを避けるためだったという。

ボジョレー・ヌーボーが日本で異様なまでの盛り上がりを見せ始めるのは、85年に解禁日が改正されてからのこと。日付変更線の関係で、欧米に比べて数時間早くこの日を迎えられることから、日本が“世界で一番早くヌーボーを味わえる”と、早いモノ好きの心をくすぐり、さまざまな解禁イベントが企画された。
レストランやバーでのカウントダウンは現在でも行われているが、到着したばかりのヌーボーを空港で味わえるかのように演出したイベントや、ド派手な船上パーティーなどもあったように記憶している。時あたかも、日本がバブルへと向かう時代。解禁を祝う宴は、年々大がかりになっていくが、バブル崩壊に伴い沈静化。しかし、90年代後半から盛り返し現象が見られた。
96年にボジョレーワインの最大手ジョルジュ デュブッフ社のヌーボーをサントリーが取り扱い始めたことも要因の一つだろうが、90年代後半に日本にワインブームが巻き起こったことも大きかった。95年に田崎真也氏が世界最優秀ソムリエコンクールで優勝し、ワインの世界に俄然注目が集まり始める中、雑誌『ブルータス』のワイン特集号をきっかけとしてブームが勃発、ソムリエ資格を取りたいという人たちも大量発生した。この時期は、日本におけるワイン文化の成熟期と言えるかもしれない。
ボジョレー・ヌーボーも改めて躍進し、「100年に一度の出来」と言われた2003年にピークを迎える。だが皮肉にも、ボジョレーしか知らなかった人までもが、世にさまざまなワインが存在していることを学習したため、ボジョレー・ヌーボーはワインを楽しむ選択肢の一つ、というポジションに落ち着き、近年はかつてのような熱狂を巻き起こすことはなくなってしまった。
ただこの沈静化には、ボジョレー・ヌーボーやボジョレーワインに対する認識不足や誤解もあるのではないだろうか?知るほどにボジョレーワインは魅力的で、ヌーボーで乾杯する気分も上がるはず。この秋、改めてボジョレーワインに向き合いたい。